守谷の主な施設&見どころ&公園

主な施設&見どころ&公園

タイトルの文字をクリックするとグーグルマップへアクセスします。画像をクリックすると公式HPなどにアクセスします。アンダーラインの文字をクリックすると有益情報にアクセスします。最終更新日令和元年5月25日

施設

もりや学びの里

この施設は、前大井沢小学校を社会教育施設として用途を変更し、一般貸出しを行っているものです。
講座研修室、創作工芸室、陶芸窯、音楽活動室、和室、体育室、運動広場、バーベキュー施設です。
市内在住・在勤のかたがご利用できます。

守谷サービスエリア

守谷サービスエリア(もりやサービスエリア)は、茨城県守谷市大柏・野木崎にある常磐自動車道のサービスエリアである。東京方面へは最後のSA、水戸・いわき・仙台方面へは最初のSAとなる。また、上り線施設頭上の高架を首都圏新都市鉄道つくばエクスプレスが通過する。
2013年〜15年に、上下線ともリニューアルが進められた。上り線はリニューアルオープン前まで、店舗部分は仮設にて営業し、2014年3月19日に「Pasar守谷(パサールもりや)」としてグランドオープン。下り線も同様のリニューアル工事を実施。工事期間中は仮設店舗での営業を行った上で、2015年7月1日に「Pasar守谷」としてグランドオープンした。
※Wikipediaより

つくばスタイル

アサヒビール守谷工場

守谷市市内にひときわ存在感を放っている大きな建物があります。守谷市観光といえばそう、アサヒビール茨城工場です。予約をすれば、誰でも見学をする人気の観光スポット。スタッフの方が、工場内の見学コースを丁寧に案内してくれます。普段はなかなか見ることの出来ないビール作りの工程は必見!工場内には、ビール酵母の香りも漂っています。
そしてお待ちかねは、地上から60mにある最上階の展望カフェでいただける出来立ての生ビール!3杯まで無料です。何種類かのビールを飲み比べすることもでき、目の前には関東平野の雄大な景色が広がります。
お酒の飲めない方には、ソフトドリンクも。売店では、一緒に出されるおつまみも購入可能です。出来立てほやほやビールは、いつもの缶ビールとは全く違いますよ。なお、こちらには守谷駅と工場を結ぶ無料送迎バスがあり、事前予約すれば誰でも利用できます。車やバイクで来場されると、運転手の方はビールの試飲ができないのでご注意ください。心置きなくビールの試飲をするためにも公共機関でのご来場をおすすめします!
※skyticket観光ガイドより

https://www.asahibeer.co.jp/brewery/ibaraki/

明治なるほどファクトリー守谷

明治みるく館では、楽しみながら牛乳のことを学ぶことができます。館内は乳製品の歴史資料館的な要素があり貴重な資料がたくさんあるので、昔の牛乳はどうなっなっていたのかを知る事ができます。映像広場では、牛乳の栄養や製造工程紹介する映像がみられ、工場見学通路ではさまざまな種類のヨーグル卜を作っている様子が見られます。※県公式HP

https://www.meiji.co.jp/learned/factory/moriya/

ミルク工房もりや

おいしい飲むヨーグルトを作るために酪農家は牧草作りから始めました。自然の恵みをいっぱい受けた牧草をふんだんに与えた健康な牛から搾り取った生乳。その「守谷さんちの牛乳」を丹念に発酵させ、風味を生かした安心・安全な手作りの飲むヨーグルト。混じり気のない美味しさへのこだわり、もちろん香料・安定剤は一切使用していません。「ミルク工房もりや」は、こだわりの飲むヨーグルト・牛乳を製造するミルク工房を窓越しに見学する事ができます。ぜひ、ご家族で、見にきてみて下さい。※うぃーくえんど茨城様より

見どころ

守谷城

平将門の創建と言い伝えられている。当時は霞ヶ浦に連なる大湖沼地帯に面し、本丸のあった出島の部分のみの天然の要塞であった。源経基が3万の軍で将門城を攻め落とした。その後、源頼朝の有力な家人であった千葉常胤の子小次郎師常が相馬一郡を領有し拡張され5連郭からなる相馬治胤の城(相馬城)となっていたが、豊臣秀吉の小田原征伐での後北条氏没落により、浅野長政軍が松戸小金城を落した次に、天正18年(1590年)5月相馬城を攻め落とした。徳川家康が関東に移封されると文禄2年(1593年)土岐定政が守谷領を受取り入城し、6連郭の城とし城下町や寺社を整備する。
※Wikipediaより抜粋

平将門と七人の影武者の墓

海禅寺は、平将門が父の菩提を弔うために建てた寺である。また本尊は、将門の娘・妙蔵尼の持仏であったとも伝わる。その後、将門の子孫を名乗る下総相馬氏の菩提寺となるが、戦国時代後期以降の相馬氏の衰退と転封によって荒廃する。江戸時代に入って領主の堀田氏が再興、奥州相馬氏も参勤交代の折りに立ち寄ったという。
海禅寺の境内には、8基の石塔が整然と並んでいる。これが平将門と七騎武者の墓である。一番右端の大きな石塔が平将門の墓といわれ、中央部に「平親王塔」と刻まれている。そして残りの石塔は平将門の7人の影武者の墓とされている。寺伝では、承平7年(937年)に京から帰国した将門を待ち伏せていた平良兼と平貞盛に襲撃された時に、身代わりに討ち死にした家臣7名であるという。将門本人の墓と称されるものは数多いが、家臣の墓は珍しいものである。
※日本伝承大鑑より

家康水のみ井戸

「家康・水飲みの井戸」守谷市野木崎
次の野木崎「正安寺」に向かうのですが、途中、正安寺の手前に「家康・水飲みの井戸」があります。家康が領内の実情を調査見聞したとき、この地・野木崎の旧家・椎名家に滞在しました。このとき使用した井戸跡が残っていて、説明板があります。※将門ブログより

小菅家住宅表門

この門は中規模の一間薬医門で、やや複雑な架構を組み、大きな屋根を造っています。木材はケヤキの良材を使い、工作も優れています。女梁(めばり)や袖塀(そでべい)の柄振板(えぶりいた)には渦(うず)等を彫り込み、桁隠(けたかくし)や懸魚鰭(げぎょひれ)を牡丹(ぼたん)彫刻とするなど、装飾も見られます。屋根の桟瓦(さんがわら)は大棟(おおむね)と降棟(くだりむね)が高く積まれ、大きな影盛(かげもり)を施した鬼瓦や四隅に高く据えられた隅蓋(すみぶた)など、見応えのあるできとなっています。建築年代は明らかではありませんが、明治初期と伝えられています。上層農家の表門として、優れた違例です。※守谷市公式HPより

御霊山

天慶年間、平将門は七人の影武者をたてて、敵の目をくらまし勝利をあげていましたが、とうとう討たれてしまいました。当時の住民たちは影武者をかわいそうに思い、現在の大木の丘の上にまとめてお墓をつくりました。そうして、御霊山と呼ばれるようになったそうです。
※守谷市公式HPより

守谷の七不思議

花の咲かない桔梗 シラサギの霊 血を流す大杉
寅薬師と御手洗池 
玉屋の離れ座敷
三夜様の榎 高野のお化け石

高野のお化け石

お化け石に関しては守谷市のHP、生涯学習課>守谷の文化財>言い伝えの中に「高野のおばけ石」としても掲載されていました。下記は守谷市のHPからの抜粋です。
高野のおばけ石
昭和50年7月、高野中坪地区にある成田山不動明王の石碑に「人の顔が写っている」と近所の小学生たちの間で噂が広がった。噂が噂を呼び、やがてテレビ局や週刊誌等のマスコミに取り上げられ、守谷は一躍世間の脚光を浴びることとなりました。一時は、全国から見物客が押し掛け、付近の空き地はにわか駐車場に、そして、道は大渋滞に陥りました。当時、石碑に人の顔が写っているのを確認したという人たちの証言では、「平将門様の亡霊だ」「亡くなったおじいちゃんの姿」「白い着物を着た女の人と子供の姿が見える」「石碑の下の方には猫がいる」等、様々で見る人によって眼に映るものがあったようです。
※おでかけより抜粋

http://ghosttrip.net/ibaraki/obakeishi.html

公園

つくばスタイル守谷の公園

四季の里公園

もりや工業団地造成時に作られた公園の一つで、もりや工業団地最大の公園です。自然の景観や雰囲気を重視し、開発前の地形や特色を極力生かした作りとなっています。園内は池を中心に、約200種5万株もの四季折々の花が植えられたエリアや、一般公園のエリアに分かれ、公園に隣接して常総ニュータウン北守谷、茨城県立守谷高等学校、少し離れたところにやまゆり公園及び北守谷野球場があります。

守谷城址公園

鎌倉時代に平将門が建てたと言われる守谷城の城跡を利用して作られた公園です。公園内は北園森林公園との接点であり、公園全体の中心的ゾーンである拠点ゾーン、多目的広場、芝生広場など、守谷沼と水辺の連続性を確保した散歩道が整備されている水辺ゾーン、公園整備前から存在する小さな丘をそのまま残している獺弁天ゾーン、守谷城跡の自然の景観や地形を損なわず、土塁や堀があるなど、城跡を生かした造りとなっている城址ゾーンに分かれています。

さくらの杜公園

パークシティ守谷(みずき野)造成に伴い、造成された公園の一つで、1991年(平成3年)に設置されました。みずき野地区最大の公園で、自由広場や園路、遊具などが整備されています。

野鳥の森散策路

東京中心部から僅か1時間以内の、魅力あふれる中心市街地の身近な緑。それも市民ボランティア中心に小中学生、一般市民が協力して作った素敵な自然歩道。林間の起伏に富む守谷野鳥の森散策路と湿地環境の丸太敷きの鳥のみち。沢山の野鳥たちの鳴声を楽しみ、好みのコースを選べます。
※守谷市公式HPより