空があるまち常陸太田

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空のあるまち常陸太田

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地名の由来

常陸太田

久慈郡太田町が機初村、西小沢村、幸久村、佐竹村、誉田村、佐都村を編入。合併と同時に町名を常陸太田町改めた上で同日市制施行し、常陸太田市が誕生。改称理由は、既に群馬県太田市が市制施行していたためである。

常陸太田プロフィール

南北に長い市域を持ち、面積は茨城県の自治体で最大です。 人口は50,153人 面積371.99㎢。戦国武将 佐竹氏の城下町で、佐竹の家名の由来でもある佐竹寺がり、水戸藩2代藩主で『大日本史』の編纂を指示した徳川光圀の隠居所である西山荘がある歴史あるまちです。

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◆イベント情報◆

第21回常陸太田そばまつり
日時 平成31年2月1日(金)~2月28日(木) 28日間
場所 常陸太田市内参加店各所

第8回汁ONEカップ
日時 2019年3月3日(日)
午前9時30分~午後3時(売り切れ次第終了)
投票終了 午後2時〜11月25日(日)
場所 JR 常陸太田駅前

常陸太田市民吹奏楽団
第36回定期演奏会

日時 平成31年2月10日 開場 13:30 開演 14:00 
場所 常陸太田市民交流センター

ひたちおおた芸能祭
日時 平成31年2月24日 開場 12:00 開演 12:30 
場所 常陸太田市民交流センター

道の駅ひたちおおた
2月のイベント案内

シンボル

市章
戦国時代佐竹氏が舞鶴城を築いた発祥の地に因み鶴の形をもって「太」の字を表示したものです。
市の木 けやき
市内でいたる所に見られ,幹は大空にそびえ立ち,枝が四方に勢いよく広がる雄姿は,市民の和と限りなく発展しようとする常陸太田市を象徴する木です。
市の花 やまぶき
春遅く咲くやまぶきのかおりは古き世の風情を感じさせ,また清純で素朴な美しさは,人間性豊かな常陸太田市を象徴する花です。
市の鳥 カワセミ
カワセミは,空を飛ぶ翡翠と呼ばれ,きれいな水辺に生息し,自然を象徴する鳥といわれます。水と緑を大切にし,郷土の美しい自然を守り,豊かな明日を目指す常陸太田市を象徴する鳥です。

風 景

変な橋

生田の滝

横川の下滝

竜神峡大吊橋

ひたち秋そば

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常陸太田市公式マスコット じょうづるさん

おおた名物

太田落雁
水戸徳川家九代藩主・徳川斉昭公が領内を巡視し選定された「水戸八景」の一つ。藩士の文武を奨励した斉昭公は,八景めぐりを通じて自然観賞を勧めることで,藩士たちの心身の鍛練を図ったとされます。かつて,この碑がある高台付近からは,阿武隈連山を背景とした素晴らしい眺めや「真弓千石」と呼ばれる水田地帯,雁が苅田に降りる様子などを望むことができました。
その情景を斉昭公が「さして行く 越路の雁の 越えかねて 太田の面に しばしやすらふ」と詠んだことから太田落雁と命名されたといいます。
また,斉昭公は水戸八景の詩歌として「大家落雁渡房洲」(太田の落雁房洲を渡る)とも詠んでいるほか,碑に記された文字も公の筆跡と伝えられています。

山寺晩鐘の碑
「水戸八景」の一つ。
この碑が位置する西山研修所構内東南の高台は,久昌寺の附随施設として設けられた学寮「三昧堂檀林」の跡地にあたり,常時数百名の学僧が修行を積んでいたとされる場所で,暮れ六つ時(午後6時)になると,勤行の声や梵鐘の音が太田の町中に響き渡っていたといいます。
藩士の文武を奨励した斉昭公は,その一環として中国の「瀟相八景」になぞらい,領内の景勝地の中から水戸八景を選定することで,藩士にそれらを鑑賞させたり,詩歌を詠ませるための場を設けたものと考えられます。
碑に刻まれた文字は,斉昭公の筆跡によるもので,「山寺晩鐘響幽壑」(山寺の晩鐘幽壑に響く)との詩歌も残されています。

竜神峡
茨城百景の一つに数えられている名勝。
山田川の支流である竜神川が,十数キロメートルにわたる原生林を,長い時間をかけて浸食して造りだしたV字形の峡谷です。切り立った岩場を流れる清流に沿って歩いていくと,数多くの滝や淵,瀬などを目にすることができます。その見事な景観は「関東の耶馬渓」と呼ばれ,黒部渓谷に似ているとも言われているほど。流れゆく水音と古くからの植生を残す原生林は,自然の魅力と素晴らしさを今に伝える貴重な自然遺産。代表的な淵は,峡谷のほぼ中央に位置する亀ヶ淵。
自然も豊富で冬はバードウォッチング,春から秋にかけては小鳥の声を聞きながらの自然散策に最適。遊歩道も整備されていて春のツツジから秋の紅葉まで楽しめます。

旧稲田屋赤煉瓦蔵
明治17年に茨城県で発行された「勧業年報」では、太田町東一町20番地の「稲田屋」の屋号を見つけることができる。この赤煉瓦蔵は、明治43年にこの地で酒造業を営んでいた「稲田屋」の稲田敬造氏が建造した。茨城県内の明治期に於ける三階建ての赤煉瓦蔵が少ないこともあり、平成21年常陸太田市から委託を受けた筑波大学によって学術調査が行われた。
建築にあたったのは、当時の太田町金井町在住の宮大工棟梁齋藤辰吉氏であり、同時期に建造された国の重要文化財である、旧太田中学校講堂の影響が感じられる興味深い作風となっている。特に煉瓦蔵の三階の天井部分の柱と梁の組み方の美しさは、齋藤辰吉氏の卓抜した技術の粋が凝縮されており、見る人を楽しませている。
往時は隣地に赤煉瓦二階の外側漆喰跡から繋がる土蔵二階の商家があり、敷地内には三つの井戸跡や裏の門柱、更に敷地を遮る煉瓦塀が残っており豪商「稲田屋」の姿を想像することができる。
常陸太田市観光物産協会公式HPより

国指定史跡 水戸徳川家瑞竜山墓所

水戸德川家墓所は、瑞龍山と号し、茨城県の北部、常陸太田市の北部郊外、阿武隈山地から続く国見山の南側丘陵斜面部に立地しています。東西約360m、南北約500m、標高65~134mの範囲に営まれ、東に里川の沖積平野を、西に谷津田を望む景勝地です。讃岐松平家以外の3支藩の分家は、本家の水戸藩主德川家と同じ墓所に埋葬されています。単一の藩主家名を付すことに無理があるため、本家の家名に基づく名称を用います。
墓の形態は、2代光圀が儒教に基づいて定めた水戸德川家独自の形態です。葬祭は無宗教であるため、墓所内に菩提寺はなく、僧侶の立ち入りは禁じられていました。※茨城県教育委員会公式HPより抜粋

佐竹寺
佐竹寺は、鎌倉時代から江戸時代にかけて常陸国を支配した佐竹氏代々の祈願所。大同2(807)年の開山、あるいは、寛和元(985)年に花山天皇の勅願を受けて元密上人が創建したとも言われています。創建当初は、鶴ヶ池の北に位置する観音山にありましたが、天文12(1543)年に兵火によって焼失、同15(1546)年に佐竹義昭によって再建されました。一時は隆盛を極めたものの、佐竹氏の秋田移封にともない、その寺運はしだいに衰えていきました。本尊の十一面観音像は、安産や厄除けなどに御利益のあるとされる仏様で、坂東三十三観音二十二番霊所にもあたることから、巡拝者が絶えない古刹としても広く知られています。重厚感あふれる佇まいの本堂は茅葺き寄棟造りで、正面中央には唐破風が設けられています。正面の火頭窓や柱、組物など、あらゆる箇所に桃山時代の建築物の先駆とも言える遺構が残された、常陸太田市の誇る貴重な文化財の一つです。※常陸太田市観光物産協会より

常陸太田市民の常識

茨城県内最大の面積を誇る。
なぜかPOMジュース(えひめ飲料)の工場がある。
秋田から墓参りに来る人が多い。
みのもんたの出身地らしい(お母さんの)
山だらけ!
竜神大吊橋!徒歩のみ有料で通行できるが渡った先には鐘一つ。今はバンジージャンプの聖地!

名産&特産物&おみやげ

ヨネビシ醤油

常陸太田の古い街並に溶け込む土蔵造りの建物。酒造蔵を継承して創業されたヨネビシ醤油は、1800年(寛政十二年)よりこの地で、昔ながらの製法にこだわった本物の醤油をつくり続けています。1867年にはパリ万博出品した精製醤油「ひな菊」が銅碑を受賞。「米菱」は創業時の屋号「米屋」にちなんだものです。ヨネビシのロゴマークは「米」をかたどると同時に『米寿』を願う心をあらわしております。

くめ納豆
くめ納豆は、創業から60余年。「おいしい納豆をつくりたい」というたった一念をこれまで原動力にしてきました。奥久慈の大自然と伝統の技が息づく「納豆」という素朴な食品に、私たちはこれからも「質」に誇りを持ち続けることをお約束します。

凍みこんにゃく

凍みこんにゃくは、400年の歴史を持つ伝統食材ですが現在では全国で大子町と常陸太田市の3軒の生産者しか作っておらず幻の食材になりつつあります。
※満点青空レストランより

おおたっ穂
常陸太田の田園風景をコンセプトに,常陸太田産コシヒカリ米粉を使ったお菓子です。田んぼを羊羹,稲穂を蒸しカステラでイメージ。羊羹は柔らかく甘さ控えめ,カステラはシットリもちもち,ほのかな醤油とゴマの風味が楽しめます。
最中 印籠
小豆つぶあん・ゆずあん・しそあん・巨峰あんの4種類の味があり,控えめな甘味と,それぞれの素材の風味を楽しめます。常陸太田にゆかりのある徳川光圀公を連想させる印籠の形を最中で表現しています。土産品としてご利用ください。
黄門さまの印籠焼
表に「葵の御紋」,裏に「黄門」の文字が入った印籠焼は,徳川光圀公を象徴する「印籠」がモチーフです。巨峰あんには市内産巨峰果汁,梅あんの生地には市内産常陸秋そば粉を使用しています。
太田ちまき
創業100年の雰囲気が漂う老舗の菓子店です。団子やかりんとうまんじゅう等の和菓子、そして太田名物「ちまき」を製造販売しています。
太田ちまきは徳川光圀公の侍臣である佐々助三郎が越後から土産として持ち帰り、光圀公に献上したのが始まりと言われています。団子状にした生地の中にあんを入れ、熊笹で巻いてあります。
※案内文は常陸太田市観光物産協会様のHPより拝借させて頂きました。

たくさんとくさん(常陸太田)

常陸太田生まれ

常陸秋そば
常陸秋そばは、1978年に茨城県農業試験場が茨城県ならではの蕎麦ブランドの育成に着手し、茨城県内の在来種の名で最も形質の優れた常陸太田市赤土町の種を親に選抜育成法によって作られた蕎麦の品種です。 近年では茨城県北部(県北地域)の特産物となっています。

常陸太田と言えば

西山荘
「水戸黄門」で知られる,水戸藩二代目藩主・徳川光圀公が藩主の座を退いた後,元禄4(1691)年から元禄13(1700)年に没するまでの晩年を過ごした隠居所。光圀公はここで『大日本史』の編さんの監修に当たりました。入口には光圀が紀州から取り寄せ,移植した熊野杉が天を覆っています。建物は茅葺き平屋建て,内部は粗壁のままで,どの部屋にも装飾はなく,書斎も丸窓だけの三畳間と質素な佇まです。
なお,現在の建物は,文政2(1819)年に再建されたもので,春の梅,夏の新緑,秋の紅葉,冬の雪景色など,季節ごとに異なった表情が楽しめます。
※常陸太田市公式HPより

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