日立市准公認???PRサイト
海と山と桜のまち日立
市役所のHPへアクセス
※English page
最終更新日令和5年1月3日
地名の由来
宮田村と滑川村が合併する時、県の指示は宮川村だったが、神峰山を訪れた時の、徳川光圀公が、海から登る美しい朝日を見て言った「日の立ち昇るところ領内一」という故事を理由に、日立村になったということです。のちに地名をとった日立鉱山、日立製作所がその名の通り日の出の如く発展して行きました。
日立市プロフィール 観光いばらきより
多賀山地の山と太平洋と、大きな自然に囲まれたように位置する日立市は、県北地域の拠点都市として発展を遂げてきました。海岸線には伊師浜、川尻、会瀬、河原子、水木、久慈浜などそれぞれ趣が異なる海水浴場があり、漁業も盛んに行われています。特に伊師浜海岸の断崖は日本で唯一の鵜の捕獲場があります。隣接する国民宿舎鵜の岬は、展望温泉風呂とサービスの良さで人気の宿。また、山岳地には巨石の点在する堅破山、御岩山、高鈴山などがハイカーの人気となっており、それらの山々の間には奥日立きららの里や十王パノラマ公園、かみね動物園、かみねレジャーランドなどの観光スポットも点在しています。日立鉱山と日立製作所が工業都市としての形を築きましたが、日鉱記念館や小平記念館などの文化施設で、それら産業の発展の歴史を知ることができます。また、市内で行われる大規模なイベントも人気。春の日立を彩る日立さくらまつりでは、国指定重要文化財である日立風流物が披露され、県外からも多くの人が訪れます。さらにひたち国際大道芸、市民オペラなどのイベントも年間を通じて繰り広げられています。
※アンダーラインの文字や写真(風景を除く)をクリックすると公式HPや引用したサイト、面白いサイトなどにアクセスします。どんどんクリックしてみて下さいね^^リンク先の方が本文より面白いです^^
●お知らせ●
日立バイパス
奥日立きららの里
鮎川河口
宮田川河口
津波タワー
市章
日立の「日」の字は、円で型取り、「立」を極めて巧妙な花に図案化し、日立の2文字を完全に現わしています。円は円満な発展を意味し、中央の立てる花は、華やかにして殷賑を思わせています。
市の花 サクラ
5枚の花びらは、ひたちの「ひ」の文字のデザインで互いに手をつなぎあい、市のサクラとしてたいせつに育て見守っていくことをイメージしたものです。
市の木 ケヤキ
日立市民の暖かくしかも力強い腕の輪によって、市の木を永遠に保存する意味をこめたものです。また日立の文字も抽象的にデザイン化されています。
市の鳥 ウミウ
市の鳥を決める委員会がウミウを市の鳥として決定、大きな太陽を全身に受け輝いている「ウミウ」のデザインです。
市のサカナ
市のさかな選考委員会で検討して、市のさかなを「さくらダコ」に決定しました。デザインは、大きくて元気なさくらダコをイメージしたものです。
シンボルマーク
日の立ち昇るところ領内一と言われた日の光の輝き、市の花さくらや太平洋に開けた豊かな大地に恵まれ、創造、触れあい、ゆとり、潤いに満ちて飛翔する市民の喜びをイメージしてデザイン化したものです。
観光案内所
日立駅直結の日立観光物産協会様出店の「ぷらっと ひたちです」^^日立観光のあとは文字通り♪ぷらっとよって、みてお土産選びはいかがでしょうか?
日立名物
なんと日立市内には、六ケ所も海水浴場があります。
詳しくは「日立市の海水浴場公園ガイド」をご覧ください。
久慈浜海水浴場
水木海水浴場
河原子海水浴場
会瀬海水浴場
川尻海水浴場
伊師浜海水浴場
後で写真を貼る
日本列島の歴史は日立の地面から始まった?!カンブリア紀地層の5億年の旅を解き明かす我々がいま立っている、この日本列島は、いったい、いつ、どのようにして誕生したのだろうか?46億年という長い地球の歴史のなかの、たった5億年前から、この大地は姿を表した。そしてその痕跡が、日本に残っているただ一つの場所がある。それが茨城県日立市周辺だ。日立の5億年前の地層をたどりながら、その秘密に迫る。
日立市内では、日本で最も古い地層5億年前のカンブリア岩石を見ることができます^^
すごいっしょ^^←札幌弁風に
日本で唯一の架空索道です。TVでも時々紹介される珍しいものです。
日立セメント株式会社 が太平田鉱山で採掘したセメントの原料である石灰石を山根貯鉱場までの山間3.8kmの区間を運搬しているもので、山根貯鉱場からセメント工場までは、ベルトコンベアが通っています。数沢川の上に架かる線路上を通過し、市役所付近から地下に入り市街地を縦断して工場まで運搬しています。現在日本国内で架空索道が運転されているのはここだけの珍しい設備です。
残念ながら廃止されてしまいました。
ゴルフ練習場の上を通る架空索道^^時々ゴルフボールが当たります^^
終点へ
ベルトコンベア
昇開式歩道橋
日立市には全国でも珍しい歩道橋があるのをご存知ですか?市内の工場で作られた大型の発電機等を茨城港日立港区まで運ぶ大型トレーラーの通行を妨げないために「昇開式可動橋」という上下に動く歩道橋が2か所あります。まちが寝静まったころ、それはパレードのように動き出すのです。
※日立市公式ツイートより
塙山キャバレー
塙山キャバレーとは、NHKドキュメント72hoursでも放送された歓楽街です。←大げさ
バラックのような飲食店があつまり戦後の世界のようなところですがコンビニやファミレスなどが無かった時代には夜中に食事だけで訪れる方も多かったようです。詳しくは写真をクリックして下さい。
常陸多賀駅前ラウンドアバウト
渋滞発生しにくい環状交差点、茨城・常陸多賀駅前でも運用開始
運用が始まったJR常陸多賀駅前の環状交差点=1日、日立市多賀町(桐原正道撮影)円形で一方通行の信号機がない交差点「環状交差点」の本格的な運用が1日、日立市多賀町のJR常陸多賀駅前で始まった。環状交差点は、欧米では「ラウンドアバウト」と呼ばれて広く普及しており、同日、施行された改正道交法で通行ルールを定め、国内に導入された。交差点の一種で、進入した車両が中央に設けられた構造物の周りを時計回りに一方通行で周回する。交差点への進入車両には徐行が義務づけられており、信号機がないため、渋滞が発生しにくく、重大事故も発生しにくいとされている。
※産経新聞より
県警などによると、全国15カ所で運用が始まり、県内では常陸多賀駅前の1カ所のみ。常陸多賀駅前の交差点は、これまでも一方通行などで規制されて事実上、環状交差点として機能していた。県警は運用が始まったこの日、常陸多賀駅前でチラシなどを配布して通行方法を周知した。
ヒカリモ
普段は単細胞生物として、長短1本ずつ、計2本の鞭毛で移動する。周年で構成される生活環のうち、通常は4月から6月の浮遊期に、疎水性の柄の上に複数の層で構成される細胞塊を形成し、これが鏡のように入射光を反射させることで黄金色に光るように見え、その様子は「金粉をしきつめたよう」だとのこと。光る仕組みについては、かつては葉緑体が光を反射させるとされたが、これは誤りである。しかし、詳しい仕組みについては十分に解明されていない。
一般には浮遊期は4月から6月であるが、日立市東滑川海浜緑地のヒカリモ群生地のように、年間を通して光って見える場所もある。日立市が北限といわれていたが、近年福島県や宮城県でも発生が確認されている。
※Wikipediaより
イトヨ
イトヨは体長5から6センチメートルほどのトゲウオ科の魚で、背中や腹などに鋭い棘を持っています。一生を淡水で過ごす陸封型と産卵期以外を海で過ごす、降海型に分けられます。
泉が森公園のイトヨのような陸封型は、きれいな湧き水(水温約15度)のある限られた場所にしか生息しません。
食性は肉食性で、水生昆虫などを餌としています。
雄は池の底に水草片などをあつめて鳥のように巣を作り、雌に対して「ジグザグダンス」といわれる一種の求愛行動をとって巣穴の中へ導き、産卵させます。産卵後、雄は稚魚が泳ぎだすまで子育てに専念します。泉が森公園のイトヨについては、正確な記録が無いので、いつの頃から棲みついたのか知られていませんが、少なくとも半世紀前には生息していたことが確認されています。
※日立市公園ガイドより
日立製作所は日製、JXは日鉱または鉱山と呼ぶ。日立は日立二高から、かみね公園までの極めて狭い範囲の地名。
トイレは水洗。下水道普及率は98%以上で、昭和の時代に、日立、多賀の下水道工事が終了していた。
日立は渋滞の町><ほんとーになんとかして欲しい…
宮田民の常識 正確に言えば助川は日立ではない!(日立村 宮田+滑川)平沢川(市役所のとなり)の水利権をめぐって争ったので、宮田と助川は非常に仲が悪かった。
御岩神社より神峰神社(風流物のため)
日本最後の財閥発祥地である。
昭和50年代まで、茨城県の特急停車駅は日立駅、常陸多賀駅、水戸駅の三駅しかなく、水戸よりも人口が多く、県で最初に20万都市となったので、県下最大の都市とうぬぼれていた。
日本で唯一のメルセデスベンツ新車整備工場がある。陸揚げも日立港だけ!日本全国で活躍するベンツの玄関口。
市役所は土、日も窓口開庁←これ意外と少ない
豆知識
日立を艦砲射撃したアメリカの戦艦5隻が、全て博物館になっている。
昭和20年6月10日㈪、日立空襲の日…9日に宮様の視察があり海岸(日立)工場は振替休日だった。もし休みでなけば少なくとも1万人くらい死んだかもしれないブルブル><
日立生まれ
パンポンとは日立市で生まれた球技です。日立製作所の日立工場(旧・山手工場)で1922年頃に始められました。木の板で作られた「ラケット」と同じく木製の「ネット」で行うテニスと卓球に似た球技で、軟式テニス用のゴムボールを用います。
1909年に日立市(水木)に生まれた遠山喜一郎氏。1936年のベルリンオリンピックに日本代表選手として出場。後に、日本体操協会副会長を務め、また、新体操の普及と発展に尽力しました。戦後、現在のラジオ体操の作成依頼を受け、「一度動き出したら音楽に乗って最後までやりきれるもの」を考案し、1951年にラジオ放送が開始されました。
衛星中継
昭和38年11月、日本で初めて太平洋を越えたテレビ中継の電波をキャッチしたのが茨城県日立市十王町に設置されたKDD茨城宇宙通信実験所です。
以下NHKアーカイブより
11月23日早朝、世界の放送史上画期的な実験、太平洋を越えたテレビの宇宙中継が行われた。午前5時28分、モニターテレビに史上初めて太平洋を越えてきた映像が鮮やかに映し出された。ところが、この歴史的な電波に乗って送られてきたのは、ケネディ大統領暗殺の悲報。中継のアナウンサーは「この電波でこのような悲しいニュースをお送りしなければならないのは誠に残念」とリポートし、衝撃は全国に広がった。
日立紅寒桜
新品種日立紅寒桜
1月から3月にかけて長く咲く珍しい桜で、JR小木津駅にあった木を日高交流センターに移植させたものが原木です。 残念ながら、移植後原木は枯れてしまいましたが、「桜のまち作りを進める市民の会」を始めとする人々の努力で復活し、 今では市内に150本ほどが植えられています。 寒緋桜と山桜の交配種らしく、寒桜より花が大きく花の色が淡紫ピンクなど、他にない特徴が認められ、 新品種として2006年に品種登録された、日立にしかない桜です。
※日立市地域ブランド推進協議会公式HPより
かきピー
柿の種(あられ)と剥き身のピーナッツという組み合わせ、すなわちそれが「柿ピー(かきピー)」「ピー柿(ピーかき)」「ピーピー柿(ピーピーかき)」などと通称される派生品であるが、これが生まれたきっかけについては諸説ある[4]。1つ目は帝国ホテルの酒場がサービスとしてナッツを出す際、日本らしさを出すためピーナッツに柿の種を混ぜたのが始まりというもの。1955年(昭和30年)にはピーナッツが混ぜられ始めたという。2つ目は亀田製菓の直売所で創業者の妻が店番をしていた際、思い付きでピーナッツと柿の種を一緒に食べてみたのが始まりというもの[11]。3つ目は、1950年代に日立製作所供給所の仕入れ先の問屋と店員がかさ増し目的で混ぜたところ、ヒットしたというものである。
※ウィキペディアより
名産&特産物&おみやげ
口福あんこう
ある著名な教授が、日立のあんこうを食べたとき「美味しいものを食べて、何と幸福なことか。」という言葉を残してくれました。この言葉に惚れこみ、教授に許可を得て、日立で獲れたあんこうを、幸福と口福をかけて「口福あんこう」と名付けました。
かみねバーガー
かみね動物園施設を利用しない方でもどなたでもご来店いただけますので、食事だけでもお気軽にご利用下さい。オリジナルの「かみねバーガー」は、常陸牛と地元茨城産のれんこんを使用しており、常陸牛ならではの甘味とシャキシャキした食感が楽しめるスライスレンコンが良いアクセントとなった当店の看板メニューです。
日立せんべい
大正時代の創業以来、80年以上にわたり昔ながらの瓦煎餅を作り続けてきました。主な原料である小麦粉と卵に、代々受け継がれてきた秘伝の甘味を加え、独特の風味やサクサク感は他の瓦煎餅では味わうことができません。また余計な保存料、着色料、香料などの添加物は一切使用しておりませんので、お子様からお年寄りまで安心してお召し上がりいただけます。4枚入りの袋のうち2枚は日立の文字入り、缶には大煙突の絵を用いて、工都日立のお土産としても親しまれてきました。※日立市地域ブランド推進協議会より
モーター最中
HITACHI公式というわけではないが、日立製作所のお膝元、日立銘菓のモーター最中。 日立製作所の名を世界に広げたモーターの型を模したものであり、日立製作所の社員の出張土産の定番だったとか。なかなか面白い由来のお菓子で、味も普通に美味しい。※Rettyグルメより
銘菓せんぷうき
銘菓せんぷうきですが、かつて小川屋さんの店主が、町の銘菓にしようと、工場に必死に頼みこんで許可を得たものです。扇風機事業の最盛期には、お茶請けとして工場へ大量に届けたと話してくれました。モーター最中と同様、由緒ある和菓子ですね…。日立土産に是非どうぞ!
※Mt.KAZENOKAMIのブログより
大みか饅頭
薯蕷(じょうよう)饅頭饅頭とは、白さ・美しさ・上品さを兼ね備えた和菓子の神髄とされる逸品であります。当店の大みか饅頭は、北海道十勝産の厳選された小豆を丹念にさらした特製のこし餡を、米の粉を主とした生地で包み、保存料等は一切使わず蒸し上げております。昔ながらの正直な味を守っておりますので3日程しかおいしく召し上がることはできませんが、だからこそおいしいと多い日には2万個以上売れるほど永きに渡り親しまれております。
※公式ホームページより
たくさんとくさん(日立市)
ジャパンエナジー(現・JXTGエネルギー)と共に、日立製作所や日産自動車をはじめとする日産コンツェルンの源流であった。日立銅山に端を発する(日立製作所もその銅線事業から始まっている)同グループにとって、創立以来の中核事業であった非鉄金属事業部門を継承している。日立金属安来工場に次ぐ合金設計の歴史を持っている。事業は資源開発・金属製錬・電材化工・環境リサイクルの4つに大別される。資源開発では鉱山権益の拡大など非鉄金属資源の開発を手掛ける。金属製錬では、子会社のパンパシフィック・カッパー株式会社 (PPC) がPPC佐賀関製錬所で銅製錬などを行っている。またパンパシフィック・カッパーは非鉄金属の販売も行う。電材化工では電子機器に使用される銅箔や化合物半導体などの製造、精密圧延などの精密加工を手掛ける。環境リサイクルではリサイクル原料や産業廃棄物からの有価金属の回収を行っている。
※Wikipediaより
株式会社日立製作所(ひたちせいさくしょ、英: Hitachi, Ltd.)は、日本の電機メーカーであり、日立グループの中核企業。国内最大の電気機器メーカー[3]。日経平均株価及びTOPIX Core30の構成銘柄の一つ。
通称は日立やHITACHIなど。特に創業の地であり、主力工場を抱える茨城県日立市などでは、行政機関の日立市や他の日立グループ各社などと区別するため日立製作所の略称で日製にっせいとも呼ばれている(後述参照)。
前身は、現在の茨城県日立市にあった銅と硫化鉄鉱を産出する久原鉱業所日立鉱山である。日立鉱山を母体として久原財閥が誕生し、久原財閥の流れを受けて日産コンツェルンが形成された。また、日立鉱山で使用する機械の修理製造部門が、1910年に国産初の5馬力誘導電動機(モーター)を完成させて、日立製作所が設立された。やがて日本最大規模の総合電機メーカー、そして世界有数の大手電機メーカーとして発展することとなる。
※Wikipediaより
5大パワースポット
日立4大パワースポットで一番人気の御岩神社です^^
宇宙飛行士の向井千秋さんが、宇宙から地球を眺めたら「日本に光の柱が立っていて、その場所を調べてみたら日立の山の中だった」と言っていたという噂があり、その場所が御岩神社だろうともいわれているそうです。
そのおかげでしょうか。年々と参観者が増え、今では大勢な参観者が訪れています。
※5大パワースポット
日立中央インターから、すぐなのでお岩神社の帰りには是非よって行ってくださいませ。詳しくは日立市の主な施設をご覧ください。
メニュー(飲食店)テスト中
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天尚堂、大山工業所 コンテック コイズミ
鈴木ポピュラージャズ音楽教室
公認、推薦、協力団体ほか
日立歯科医師会、日立メディカルセンター、日立メディカルセンター看護専門学校、日立青色申告会、仲町学区コミュニティ推進会 下町商店会(日立市)