原子力のむら東海

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原子力のむら東海

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最終更新日令和元年7月5日

地名の由来

藤田東湖の『正気歌』にある「…卓立東海浜」による。1955年の発足時の新命名。1948年には、村松村石神村組合立による東海中学校が設立されており、東海村が成立する前から、当地において「東海」の名称が採用されている

東海村プロフィール 観光いばらきより

北に久慈川、東に太平洋を望む東海村は、日本初の原子力の火が灯った村として全国にその名を知られています。原子力関係の施設が集中し、それに付随した原子力科学館、げんでん東海テラパークなど一般の人でも楽しく学べる施設が充実しています。子どもから大人まで科学とエネルギー、地球環境まで紹介され、見学者が絶えません。最近では世界最大級の大強度陽子加速器施設のジェイパークが建設されました。農業も盛んで、ナシ、ブドウなどの果樹やメロン、スイカ、サツマイモなどが特産品としてあげられ、毎年11月には「I~MOのまつり」が開かれ、秋の実りを祝い合います。歴史的には一三詣りで有名な村松山虚空蔵堂があり、周辺の人々の信仰を集めています。水戸八景の「村松晴嵐」の景勝地にも選ばれていて、白い砂浜と青々とした松林が素晴らしいコントラストを演出します。

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◆イベント情報◆

東海I~MOのまつり

日時 終了しました。
場所 東海文化センター及びJA常陸東海支部店周辺

あつマルシェ
あつマルシェとは…
平成30年4月から始まった障がい者支援事業所による物販ブースの名称です。毎月第2・第4木曜日11時から13時まで,東海村役場1階受付前で2事業所ずつ,それぞれの事業所で作った商品(お菓子や工芸品等)を販売します。

風 景

豊岡海岸と久慈川河口

原子力発電所

白方公園

村松虚空蔵尊と大神宮

村松海岸

ちょーアバウトな標識
↓ 画像をクリックと写真のページへアクセスします。

 

シンボル

村章
「とうかい」の「と」を原子力のγ(ガンマー)と太平洋の波で模様化したものです。
村の花 スカシユリ
東海村発足30周年を記念して、「スカシユリ」を村の花に制定しました。スカシユリは、本州の北部に分布し、村では砂丘に群落が見られます。花は、真夏に咲き、明るく情熱的で、太陽に向かって咲くことから発展向上を意味し、村を象徴するにふさわしい花ということで定めました。
市の木 黒松
東海村発足25周年を記念して、「黒松」を村の木に制定しました。黒松は、村の気候や風土に適し、海岸線をはじめ村内至る所に見られます。
古来から長寿を表すとして尊ばれ、また、豊かな緑に包まれた村の快適環境を象徴するにふさわしい木ということで定めました。
市の鳥 メジロ
東海村発足40周年を記念して、「メジロ」を村の鳥に制定しました。目の回りに白い輪があることから「目白」の由来があり、魅力的な声でさえずります。メジロは村内に広く生息し、昔から地域の人々に親しまれてきたことから、村を象徴するにふさわしい鳥ということで定めました。

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名物&見どころ&施設

お化け石
昭和60年、茨城県東海村に建てられている石碑に女の顔が浮き出るという噂が立ち、これが昭和60年6月18日の新聞で紹介された。新聞に載ったことによって騒ぎが更に拡大し、連日見物客が続々と訪れた。この石碑は大正5年に建てられたもので、農耕馬を祀(まつ)っていることから「馬力神」という文字が草書体で刻まれている。その中の「馬」という文字が、車のヘッドライトなどで照らされると女の顔のように見えるというものだった。
ちょうどこの騒ぎが起こっている最中、筑波研究 学園都市では、「科学万博」(国際 科学技術 博覧会)が開催されており、万博を見学した団体バスが、帰りのコースの中にここを組み入れて見物するほどであった。
訪れる見物客が増え始めるとすぐに、たこ焼き屋やラーメン屋などの屋台が並び、警察が連日警備に当たった。土曜日の夜などは千人もの人でごったがえした。人が集まると迷惑行為などをする人間が必ず出てくる。村の役場では色々と協議した結果、石碑の横に看板を立てた。看板にはこう書かれていた。

幽霊を見る方へ
前の方で懐中電灯を照らしたり石の上に登ったりしないで下さい。
幽霊を見る時は、灯光器より下がって見るとよく見えます。
前の方で見たり電気を照らすと他の人に迷惑をかけますのでよろしくお願い致します。※No.93 マスコミで報道された心霊騒動より

さざれ石

https://ameblo.jp/shima0202/entry-12331863611.html

石神城跡
石神城は,中世のお城です。城が機能していた中世においては東に旧久慈川が流れ,南北を深い谷地に挟まれた要害の地に作られていました。作られた時期については諸説ありますが,永享4年(1432)足利持氏感状に「常州石上城合戦」とあるため,この時期には作られていたと思われます。
城主は佐竹氏家臣の石神小野崎氏です。天文15年(1546)頃,所領の境界をめぐってしばしば争いが起きていた額田小野崎氏との間で合戦になり,その結果石神小野崎氏は敗北し,城から退去しました。しかしその後,佐竹氏への戦功により領地の維持と帰城が認められます。慶長7年(1602)佐竹義宣の秋田移封に従ってこの地を去り,石神城は廃城になりました。
※東海村公式HPより抜粋

真崎城跡
真崎城は、阿漕ヶ浦公園と向かい合う村松地区にある。北側には阿漕ヶ浦公園、南西側には平原工業団地があり、その中間くらいの位置である。周囲は水田で、ゴルフ練習場の方から東南側に細長く突き出した、比高7,8mほどの細長い台地上が城址となっている。(あ)の堀切から先端まで300mほどの長さがあるが、横幅は10m~広いところでも20m未満で、とにかくウナギのように細長くくねくねとした城である。※http://otakeya.in.coocan.jp/info01/toukai.htmから抜粋

水戸八景「村松晴嵐」
水戸藩九代目藩主徳川斉昭が,天保4年(1833)水戸八景の一つとして選定。翌天保5~8年に建碑されたと思われます。自然石(やや円にして高さ90cm,幅94cm,奥行49cm)に漢隷書体で書かれた「村松晴嵐」の文字は,徳川斉昭によるものです。石の表が常にぬれていたため「濡れ石」とも言われています。※東海村観光協会より

原子力科学館
原子力科学館では「原子ってなに?」「放射線ってなに?」「核分裂ってなに?」といった原子力や放射線の利用についての基礎的な事柄を紹介しています。本館展示室にある自然放射線の飛んだ跡が飛行機雲のようになって観察できる「霧箱」は世界最大級の大きさです。
※東海村観光協会より

東海原子力館東海テラパーク

原子力発電のしくみなどについて、パネルや模型を用いて、分かりやすく紹介しています。発電所の目の前にして、テラパークの原子力シアターでは映像を、芝生のアトムガーデンでは遊びを、サイエンスプレイランドでは科学を楽しんでいただけます。また、展示ホールでは、地球をテーマに未来のエネルギーを紹介しています。※東海村観光協会より

東海馬事苑
初めて馬を身近に見ることができると、ワクワクしながら、こちらにやってきました。東海馬事苑は、安心して乗馬を楽しむことができる施設です。リーズナブルな金額で乗馬体験やレッスンが受けられます。その他、乗馬セラピーなどもあります。日頃のストレスや運動不足も、楽しく解消でき、癒し効果も大!!
※うぃーくえんど茨城より

村民の常識

元祖・原子力の街
干し芋!
水戸八景の一つ、村松晴嵐がある。
村松虚空蔵尊は日本三大虚空蔵尊の一つで、十三参りの参詣地。
海があるのに海水浴場がない!
村であることを誇りに思っている
名称に村を残して「東海村市」にしようという話もあった。
晴嵐荘病院(茨城東病院)にオウムの林医師が勤務していたこともあった。
村の駅に「特急」が停まる。

東海生まれ

原子力
JR常磐線の東海駅から 東に3km。
原研(独立行政法人日本原子力研究開発機構)の東海研究開発センター・原子力科学研究所の構内, 第1号原子炉の建屋(JRR-1記念展示館)の前に 黒御影石の立派な記念碑が建っている。
茨城県東海村は 日本で最初に原子力の火が灯った村である。 1957(昭和37)年に 日本原子力研究所(当時)の東海研究所が設置され,日本最初の原子炉「JRR-1」が 臨界に達し,それ以来この地には多くの原子力関連施設が建設された。
現在は 日本原子力研究開発機構の“東海研究開発センター”の他に,“日本原子力発電東海発電所” など多くの原子力施設がある。 近隣の那珂市や大洗町にも大規模な原子力関連施設があり,この地域は 日本の原子力産業の重要な拠点 となっている。
※発祥の地コレクションより抜粋

名産&特産物&おみやげ

干し芋
干しいも(ほしいも、干し芋)はサツマイモを蒸して乾燥させた食品である。日本においては全国各地で作られているが、産業としては8割以上が茨城県で生産されている。正式名は「甘藷蒸切干」だが[1]、「乾燥芋(かんそういも、かんそいも)」「きっぽし」「いもかち」などと呼ばれることもある。
※Wikipediaより

サツマイモ
食用のかんしょは、茨城県が生産量日本一です。かんしょは、漢字で甘い藷(いも)と書きます。茨城は、もともとかんしょ作りに適した土質でしたが、さらに土壌診断に基づく適正施肥など様々な努力を重ね、より適した土地に改良して栽培を行っています。主力として栽培される「紅あずま」は、鮮やかな赤色が特色で、夏みかんに匹敵するほどのビタミンCを含んでおり、美容食としても注目されています。※日本の郷文化より

宝船
生活用具の船を模して子供の遊び道具としました。海に囲まれた我が国では各地にさまざまな作品が作られました。村松の宝船は大漁船の形をしています。茨城県東海村村松の虚空蔵堂の縁日正月15日と4月13日に売り出されます。舳先に宝の字があり、胴腹には赤と黒で蛇の目紋が左右3つずつ、船底には青で波が描かれています。両舷に渡した3枚の桁(タラシ)は、嵐の時物を結びつけ船の安定をはかりました。※柏崎コレクションビレッジより

たくさんとくさん(東海村)

お祭り&イベント

説明文は東海村観光協会より拝借させて頂きました。

東海さくらまつり
約200本のソメイヨシノが咲き誇る阿漕ヶ浦公園内において、東海さくらまつりが開催されます。期間中は、日没から21時までさくらのライトアップが行われ、日中とは違った幻想的な雰囲気のさくらを観賞することができます。

東海祭り
東海三大まつりの一つ。JR東海駅東口前の通りが歩行者天国となり、イベントやパレードが繰り広げられます。厳粛な雰囲気の大神宮の神輿、元気な子ども達によるそれぞれの趣向を凝らした子どもみこし、まつりに彩りを添えるハッピや浴衣姿の東海音頭の列…。今年で33回目を迎える今年は、「元気村・とうかい」をテーマに、東海村の復旧・復興に向け、住民が一つになって東海村の”元気”を内外に発信していきます。

大空マルシェ
伊勢神宮の分霊を祀る「大神宮」、そして日本三体虚空蔵尊のひとつ。
「村松山虚空蔵堂」歴史深きこのロケーションで東海村の文化と歴史の魅力を次世代に伝えるマルシェを開催します。

東海I~MOのまつり
東海村の三大まつりの一つ。 平成7年から始まった東海I~MOのまつりは、東海村の特産品であるさつまいもをテーマにした、県内で唯一のイモのおまつりです。11月23日に東海文化センターにおいて開催されます。「イモ掘り探検隊」や「イモ積み競争」、イモの「じゃんじゃん取り」等、さつまいもを使った楽しいイベントや、焼きいも、さつまいもの入ったふるさと大鍋等のさつまいも料理も堪能できます。

パワースポット&神社
村松虚空蔵尊
平安時代初期の807年に、弘法大師によって創建されたお寺です。
日本国内には、名高い虚空蔵菩薩が三体あり、伊勢の朝熊虚空蔵尊、会津の柳津虚空蔵尊とともに、村松虚空蔵尊もそのひとつです。
厄払い、とくに人生で初めての厄年である十三歳にここで参拝すると、知恵と福徳が授けられると伝えられ、多くの参拝者が訪れています。
※東海村観光協会より

大神宮
村松にある大神宮は、和銅元年(708年)の創建と伝えられています。伊勢神宮の分霊が祀られており、水戸黄門として親しまれている、水戸二代藩主水戸光圀公や九代藩主斉昭公の崇敬が厚かったことで知られています。
※東海村観光協会より

豊受皇大神宮
和銅二(709)年四月七日、平磯(現ひたちなか市)前浦にある巨巌が怪光を発射し、その光が白方の郷を射しました。村人に乗り移った神様が、「伊勢の神をお迎えせよ。」と言ったので、この土地に祀ったと言われています。
※東海村観光協会より

東海と言えば

原子力

干し芋

ひたちなか市、那珂市と共に有名です!

干しいも(ほしいも、干し芋)はサツマイモを蒸して乾燥させた食品である。日本においては全国各地で作られているが、産業としては8割以上が茨城県で生産されている。正式名は「甘藷蒸切干」だが、「乾燥芋(かんそういも、かんそいも)」「きっぽし」「いもかち」などと呼ばれることもある。
※Wikipediaより

その他

東海村の風景(写真の頁)

東海村観光協会

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